屋久島のカウボーイ

鹿児島県熊毛郡屋久島町
世界遺産「屋久島」、樹齢3000年以上や7200年あまりとも言われる「新・日本の銘木百選」に認定されている縄文杉、縄文杉への道中、巨木の内側に入って見上げると切り株がハート型に見えるウィルソン株、映画「もののけ姫」のモデルになったと言われ数百の苔に覆われた幻想的な光景広がる苔むす森や絶景太鼓岩のある白谷雲水狭、日本一のウミガメの産卵地永田いなか浜、入浴が可能なのは一日二回、干潮時の前後約二時間だけの珍しい海中温泉平内海中温泉等々、魅力あふれる観光スポットの宝庫「屋久島」

ここに私が世界一周旅行中オーストラリアはケアンズの安宿で知り合った通称【ヨシさん】と言う人物がおられます。

ヨシさんとの出会いは、ブリスベンから長距離バスでケアンズに到着し、観光案内所で予約を取り向かった安宿で同部屋だったと言うご縁でした。
ヨシさんはその安宿での滞在期間が長く、富山県富山市出身の通称【大将】とも既に友人関係でした。

私のケアンズでの滞在目的は世界3大ダイビングスポットのグレートバリアリーフ(当時は沖縄・紅海・グレートバリアリーフが人気3大スポットでした)でのPADIスキューバダイビングライセンス取得であった為、かなりの長期滞在になるとの計画で、その初日にヨシさんと出会ったのです。

ヨシさんの第一印象は、とにかく体格がよく、一見強面の怖いタイプの方でした。
しかしオーストラリアで知り合った友人・知人の殆どが私よりも年少者であった為、ヨシさんは大将と共に数少ない年長者で久しぶりの敬語での会話に懐かしささえ感じた次第でした。
神奈川県横浜市出身のヨシさんは、初代タイガーマスク佐山聡氏の元門下生であり、胸板の厚さやTシャツからはみ出る程の二の腕の太さは尋常じゃなかったです。
しかし、いざお話をしてみると、とても温厚で心根の優しい素敵なお兄さんでした。
何故か出会った当日に、私自身の生い立ちや海外に出た理由等それまでの人生の全てをお話していた様に記憶しており、男兄弟のない私にとって、全てを受け止めて下さる兄貴の様な存在だと一瞬にして感じたのだと推察します。

その安宿には特徴的な人物が多数おり、全盛期のPL学園高校野球部出身の兵庫県尼崎市出身【ナオ】・シドニーの同じ職場で働いていたお笑いセンス抜群兵庫県宝塚市出身【マサヤ】やシドニーの語学学校でのクラスメート大阪府大阪市出身【あかねちん】との再会、後にオランダ訪問時にお世話になる事となるオランダはツウォールからの旅人通称【おばちゃん】・この安宿の主的存在のオージー【ウルフ】達のおかげで、とても楽しい滞在生活となりました。
また、ケアンズのスーパーにはカンガルーのお肉や鰐肉が陳列されており、其々が日々の料理に腕を振るいシェアする食事は格別でした。

日本へ帰国後ヨシさんとはずっと交流があり、ヨシさんがカウボーイとして最初に赴任された沖縄県竹富島にお邪魔したり、千葉のご実家にお正月にお世話になったり、そして現在の赴任先屋久島にも訪ねました。
また、ヨシさんも単身京都へ訪ねて下さったり、お母様やご兄弟・叔母様達と我が家にお泊り頂いたりと家族ぐるみのお付き合いをして下さっております。
今現在も、日々起きる悩み事や相談にも、日々お忙しい中定期的なお電話で大変お世話になっております。

しかし昨年、私にとって良い人の代名詞でもあるその温厚で心優しいヨシさんが、目に涙を浮かべて熱く熱く語られた事実がございます。
約6年間、町営牧場で苦楽を共にした元同僚であり盟友・同志の田代健氏…、残念ながら私は面識がございませんでしたが、あのヨシさんが「気遣いのできる本当に優しくいい男だった」とおっしゃるのですから、私も一度お会いしお酒でも酌み交わしてみたかったのですが…。
誠に残念なことに2019年8月8日仕事場である鹿児島県屋久島町長峰牧場にてお亡くなりになりました。
その第一発見者がヨシさんです。
田代氏がお亡くなりになられた数日前から、ヨシさんは急性肝炎で歩くのもやっとの状態…、同じく同時期、今度は田代氏が急性腸炎…、とたった二人で管理する牧場は窮地だったとの事。

亡くなられた当日、ヨシさんはこの日になっても朝から体調が悪く、朝の作業は田代氏と共に行ったものの、早退したい旨を田代氏に相談、田代氏はご自身も体調不良だったにも関わらず、「ゆっくり休んでください、私は大丈夫です」とおっしゃったとの事。
ヨシさんの田代氏に対する最後の言葉は「お互いもう若くはないので共倒れしないように頑張っていこう」だったそうです。

その日の夕刻18時頃、早退をしても毎日最後の見廻りはヨシさんが行っており、牧場の雰囲気に大きな違和感と共に胸騒ぎを覚えたとの事でした。
牛たちに餌もあげてなく、田代氏の昼食のお弁当もそのまま手付かず…。
田代氏の昼食はスーパーを経営しておられる田代氏の義兄が毎日田代氏に届けておられ、義理のお兄様も昼食のお弁当を牧場に届けた際の電話が不通で、夕方再度の電話にも応答がなかったので「これはおかしい?」との判断で牧場に来られたとの事。
異様な光景の牧場の一角、心当たりのあった険しい山道を降り辿り着いた沢の取水口近くで田代氏を発見したとの事です。
第一発見者として、倒れている田代氏を抱え上げた時、かなり厳しい状況であると察したヨシさんは上司に連絡し救急車やレスキュー・警察への連絡を依頼し、「自分が早退さえしなければ…、体調が万全なら昼の戻った時に気付いていたはず…」と今でもその事を悔いておられます。
「あの時俺が…」と言うヨシさんの言葉に対し、私は何一つ労う言葉もかける事が出来ませんでした。

現在も係争中の案件ですので、一方からお聞きしただけの第三者の私から具体的な意見は申し上げる事はできませんが、ご遺族であるご両親は既に高齢です。
田代氏の母、田代イツエさんは田代氏が出勤前に支度をしていた毎朝5時15分にお仏壇に食事を供え、今も朝昼晩の三食をご用意されておられる事をお聞きし、同世代の親を持つ身として私の母が…と想像すれば胸が痛みます。
町の非正規雇用者であった田代氏が公務災害なのか過労死なのか否か…。
既に田代氏が亡くなられて2年半が経過しております。
また、その事が公になった南日本新聞での記事掲載が2021年11月12日と、その日からも5か月以上が経過しており、現在も進展がないとの事。
故田代氏の雇用主である屋久島町役場には一日も早い解決を強く望んでおります。

末筆ながら、故田代氏のご冥福を心よりお祈り申し上げますと共に、ご遺族の皆様に心よりお悔やみ申し上げます。

最後までお読み頂きました皆様方、貴重なお時間を頂戴し誠に有難うございました。